リョーリフ博物館:クルー渓谷のホール
クルー渓谷のホールは、私達をインドの神聖なヒマラヤ渓谷に連れて行く。
リョーリフ一族は、1928年の暮れにクルー渓谷に到着した。ここでは、賢者やリシ(インドの教師)等の偉大な魂の気配を今もなお感じることができる。その古代から存在するクルー渓谷の美しさや独創性を再現するために、スヴャトスラフやニコライ•リョーリフの絵画、そして、リュドミラ・シャポシュニコワが撮影した写真に基づいて作成された輝かしいフリーズが、この空間を装飾している。
クルー渓谷には、「ウルスヴァティ」という名のヒマラヤ科学研究所が創設されており、これはサンスクリット語で「朝星の光」という意味を持つ。この研究所は総合的に様々なことを研究していた。ここの活動の重要な原則は、古代の知識と現代の科学的発見の組み合わせであり、研究所では人の霊力、思考力の研究も行われた。アルベルト•アインシュタイン、ロベルト•ミリケン、スヴェン・ヘディン、ニコライ•バビロフなどの、偉大な科学者等もこの研究所に協力した。創設時からの所長がユリー•リョーリフであった。他の様々な研究の基盤にもなった彼の代表的な作品、「中央アジアの歴史」と言う著作が、展示ホールで発表された。また、ウルスヴァティ研究所の雑誌や、管理棟と実験棟の写真は、「科学の新前哨基地」と言うパンフレットでも見ることができる。
このホールでは、リョーリフ一族の私物と、一家のコレクション等の芸術品の両方が展示されている。クルー渓谷での一家の生活は多忙を極めた。研究所の活動への参加や多面的な創造活動、そして著名人との交流である。1942年にここを訪れたジャワハルラール•ネルー(インド初代首相)はニコライ•リョーリフと写真を撮影している。この戦時中という困難な時代に、彼らはロシアとインドの国交政策について話し合った。
博覧会では、スヴャトスラフ•リョーリフによって描かれた彼の父と兄の肖像画に加え、スヴャトスラフ自身の自画像も展示されている。リョーリフ一族のすべての活動の目的は、文化の永続的な重要性を更に明らかにし、人々の精神に根付かせることであった。そして、この分野で最も重要なことは、「文化財保護協定」と言う契約であり、これについては”平和の旗のホール”にて詳細に展示されている。
___________________
ウルスヴァティ研究所発行
リョーリフコレクションからの青銅
リュドミラ・シャポシュニコワ(クルー渓谷)
1970年代
ロシア語からの翻訳者:
オレクサンドル・チスチャコフ
翻訳補助:
加藤 はる花