スヴャトスラフ・リョーリフ。 『博士 ニコライ・リョーリフ』

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スヴャトスラフ・リョーリフ  『博士 ニコライ・リョーリフ』

 

1934年

75,5 х 91,0 cm

キャンバス、テンペラ、油画

 

 

スヴャトスラフ・リョーリフは、1947年までに30点以上もの父親の肖像画を制作した。

そして、父ニコライ・リョーリフを描いた二つの肖像画がヴェネツィア(1930)と、ニューヨーク(1932)の国際展示会で賞を受賞した。

 

1935年、スヴャトスラフ・リョーリフはこう書き残した。:

 

「父がここに戻ったとき、私は彼の肖像画を ”伝統的な方法” で描くつもりです。いつの日かその作品が、平和条約の生みの親の肖像画として重宝されるでしょう。この肖像画さえあれば、後は何処に配置するかを工夫するだけです。」

 

加えて、

 

「私はブルージュやフランスのために父の肖像画を描いています。おそらく、これら二つが完成したらまた別の肖像画を描き、贈り物としてパンアメリカ連合に提供することができるかもしれません。」

 

スヴャトスラフ・リョーリフによるニコライ・リョーリフの肖像画はヨーロッパ、アメリカ、ロシア、インドの美術館のコレクションに保存されている。

アメリカの記者でありリョーリフ族の協力者であったフランシス・グラントは、これらの作品について次のように述べていた。:

 

「最初の肖像画から、そして彼の父の生涯を通して、スヴャトスラフは父を描いた肖像画のシリーズの中でこれまで数多くの芸術家が試みることさえできなかった芸術的な物語を展開しました。それらの作品は ”偉大な父親についての偉大な息子からの叙事詩” と呼ぶことができます。これらの作品のいずれにも、ある種の輝きがあり、作品の特徴づけの表現は驚くほどリアルで、手に取るようにわかる輝きと精神の姿は、具現化された中でも等しく波紋が広がっていくかのようです。これらの作品はまさに題材に相応しいものです!

父と息子、二人を知る機会に恵まれたせいか、このシリーズには芸術的な人生の記録以上のものを感じます。表現力が豊かで説明も必要ない肖像画が次々と描かれ、いくつかの小さなスケッチや実物大を超える肖像画、それら全てを通して、ニコライ・リョーリフの精神の道に対する責任や知識、その「教え」や美、そして真理のメッセージが、年を経るごとに根強く、そして永続的で意味のあるものになっていきました。 

息子の偉大な才能と洞察力は、これらの壮大な肖像画、父の自己犠牲的な人生の叙事詩、父が設定した目標に対する彼自身のビジョンを明らかにする物語などに表れています。これらの人間の運命の手記は、プラトンの「元型」にも似て、人類が常に導かれるべき自己改善の法則を示唆しています。」

 

絵画『博士 ニコライ・リョーリフ』(1934年)は、ニコライ・リョーリフに関する壮大な絵画の一つである。この作品に関する情報は非常に乏しいが、スヴャトスラフ・リョーリフの手紙に少しそれらしき情報が残されている。その情報は、後にデヴィカ・ラニ・リョーリフが所有した肖像画『博士 ニコライ・リョーリフ』(1934年)に関するものだったかもしれない。

 

「私はいつものように働き、リョーリフ博士の三つの肖像画を完成させました。  二つはアメリカへ渡り、一つはここに残ります。 」

 

肖像画では、ニコライ・リョーリフが本を手に座り、読書に没頭している姿が描かれている。ニコライ・リョーリフの顔には、絶妙なまでに調和のとれた色調と光りのバランスが存在し、それは彼の創造的な思考の仕事を伝えている。驚くほど形の整った手が重い本を持ち、彼のゆったりとした黒いマントや深紅色の帽子は深い色調で描かれている。淡い色のシャツには、軽やかな影が落ちている。

 

 

スヴャトスラフ・リョーリフは黄金色と緑がかった茶色のコントラストを基に背景を構築し、その複雑なパターンに多くの注意を払った。その流れるような線は、まるで開かれた本から発せられているかのように、流動的な感覚を生み出している。

 

ロシア語からの翻訳者:

オレクサンドル・チスチャコフ

翻訳補助:

加藤 はる花

2021-22

 

 

 

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