スヴャトスラフ・リョーリフ 『リュドミラ・ボグダノフの肖像画』
この作品はそのホールの作品です。
『リュドミラ・ボグダノフの肖像画』
1934年
40,7 х 30,8 cm
キャンバス上の油彩
1930年代、スヴャトスラフ・リョーリフはいくつかのボグダノフ姉妹の肖像画を制作した。
この姉妹、リュドミラ(1903–1961)とイライダ(1914–2004)は中央アジア遠征(1924–1928)がモンゴルに滞在していた1927年に初めてリョーリフ族と出会った。
リョーリフ族の伝記を手がけた作家兼研究者であるパヴェル・ベリコフは、次のように記している。:
「エレーナ・リョーリフはウランバートルで女性の助手を探し始め、リュドミラ・ボグダノフを勧められました。リョーリフ族は彼女を非常に気に入り、今後女性の助手なしに活動することは困難であるとエレーナは確信していたので、エレーナはリュドミラを遠征に誘いました。リュドミラは妹のイライダを一人ウランバートルに残すということを恐れ、彼女を一緒に遠征に連れて行けるようお願いしました。ニコライ・リョーリフはそれを許可し、遠征が終われば姉妹を送り返そうと考えました。しかし帰国に際して問題が生じ、姉妹たちはしばらくリョーリフ家に滞在することとなりました。その間姉妹たちは家政婦として家事に従事し、他の仕事を任されることはありませんでした。」
1957年、ボグダノフ姉妹はユリー・リョーリフと共にソ連に戻った。
1930年代、スヴャトスラフ・リョーリフはとりわけ肖像画に尽力していた。
1934年末、彼は手紙の中の一つで次のように記した。:
「現在は常に肖像画の練習をしています。ペティアは座っており、時々こっくりと眠りに落ちますが、徐々に慣れてきています。」
※ペティア:リョーリフ族が使用していたリュドミラ・ボフダノフの愛称
この言葉がこの作品の制作時期と一致していることから、これはおそらく『リュドミラ・ボフダノフの肖像画』(1934年)についての記述だと考えられている。
この肖像画は緑がかった背景に描かれており、紺青と赤紫で彩られた服はモデルの顔を明るく際立たせる。目を閉じたリュドミラ・ボフダノフを描いたスヴャトスラフ・リョーリフ。モデルの首、あご、頬、そしてこめかみに落ちる柔らかな日光の戯れが鑑賞者を惹きつける。
スヴャトスラフ・リョーリフが手がけたリュドミラ・ボフダノフの肖像画は少なくとも3点存在する。
ロシア語からの翻訳者:
オレクサンドル・チスチャコフ
翻訳補助:
加藤 はる花