スヴャトスラフ•リョーリフ。 『ゲッサー・カーンについてのサガ』
1937年
138,0 х 122,0 cm
キャンバス上のテンペラ画
1930年代にスヴャトスラフ•リョーリフは、科学的および芸術的な目的でクルー渓谷に隣接する西ヒマラヤの地域(ラホール、スピティ)を繰り返し訪れた。これらの地域に住む人々の間、伝統的な古い歌の演奏が引き継がれていた。
「一緒に集まりながら。」
と仏教科学者のツェリン・ドルジェは語っていた。
「社会的および宗教的活動中、ラフルの人々はこれらの歌を歌うことに夢中になっていました。これらの歌で彼らは彼らの神々、山の精霊、特に彼らにとって重要な自然の力や動物、そして彼らの国の祖先や住民を称賛していました。これらの歌は非常に重要であり、それらを歌うことで祝福が引き寄せられると考えられていました。ラフルの部族で長い間発展してきたこれらの伝統的な歌を演奏する習慣は、教会の賛美歌の演奏と比較することができます。」
これらの歌の中で、中央アジアの叙事詩に登場するゲッサー・カーンと言う伝説的な英雄についての歌が極めて重要な位置を占めている。
ユリー•リョーリフはゲッサー・カーンに関する伝説を「中央アジアのイリアス」と呼んでいた。
チベットで始まりモンゴルとブリヤートに広がったこの叙事詩は、ゲサー・カーンや、彼の戦士らと敵軍の怪物との戦いについて語っている。ゲッサー・カーンについての歌を演奏することは特別な儀式であり、一種の神聖な儀式のようであった。
ユリー•リョーリフは次のように言葉を残した。:
「伝説の詩の朗読や歌は、3日から10日間続くことはありえなくもありません。この伝説の詩は何世紀にも渡って引き継がれ、歌われ、しばしば朗読されています。プロの語り手は、ある部分を演奏する際、即興で演奏することが出来ます….プロの語り手はその歌を暗記しており、しばしば我を忘れて歌います。放浪している語り手は、特別な服装をしていることから目立ちます。この吟遊詩人は、『語り部の帽子』または『ドルングシャ』と呼ばれ、特別な背の高い帽子をかぶっています。それは三つの三角形の鍔と赤い縁取りのある尖った帽子です...」
「ゲッサー・カーンについてのサガ」(1937年)の絵画の中でスヴャトスラフ•リョーリフは、歌う語り手の内なる力や勢いを表現し、この歌を聴いている女性やその足元で寛ぐ羊だけでなく、周囲の山々も、空さえも魅了した。語り手の様子は厳粛で、彼の右手は定期的に砂時計の形をした太鼓を回している。
スヴャトスラフ•リョーリフの絵画「ゲッサー・カーンのサガ」などは、ニコライやスヴャトスラフ•リョーリフが開催した大規模な展示会で発表された。それらの展示会は1940年に、インドの都市ラホール、トリバンドラム、アーメダバード、ハイデラバードで開催された。
この展示会はインドのマスコミにおいて、美術史家や批評家から肯定的な評判を受けていた。インドの評論家サラジュディン氏はこの作品について次のように発言した。:
「この絵は幻想的な世界観や空気観を完璧に伝えていると同時に、そこに描かれた人物は私たちと同じように実在する人物の様です。中央に位置する人物の姿は、全体の絵の構成にバランスと対称性を与えています。そしてこの輝く空が特に素晴らしいのです。雲の黄金の深さが、その下に描かれた舞台を包み込んでいるかのように見えます。そして私達は、この空間に、この時間にいたいという憧れや願望を強く感じさせられます。天と地の隙間にある場所へ、我々の心が理想とする場所へ。」
ロシア語からの翻訳者:
オレクサンドル・チスチャコフ
翻訳補助:
加藤 はる花