ニコライ•リョーリフ。 『クルタ』。
1935–1936年々
29,7 х 46,8 cm
キャンバス上のテンペラ画
絵画の中でニコライ•リョーリフはクルー渓谷(別の名をクルタ、ヒマラヤ渓谷)を囲む山頂を描いた。背景には、真っ青な空を背景に白い山脈が色鮮やかに際立っている。それらの手前には尾根の青い峰が描かれ、その下部は濃い霧によって覆い隠されている。そして前景では、暗褐色と鮮やかなオレンジ色の低い峰が空間を埋めている。
クルタは、ヒマラヤ西部のクルー渓谷の古代の名称であり、ビース川はその渓谷を流れている。
「これらすべての場所は、360の神々のための神聖な領域」とされている。この渓谷の名前は伝説によると、「マハーバーラタ」の文章を書き留めたリシビャサの名前に由来している。
その昔、古代のアリアヴァルタがここに広がっていた。
ニコライ•リョーリフは次のように述べていた。:
「クルーの聖なる谷は、ラフルとチベットの国境に隠れており、パンジャブの最北端を形成している、『銀の渓谷』と呼ばれています。冬は煌びやかで真っ白な雪で覆われ、春には雪のように真っ白な花が咲き乱れます。この渓谷は冬でも春でも名前の通り『銀の渓谷』で在り続けます。」
ナガーからそう遠くはないクルタには、「ホールエステート(Hall Estate)」という屋敷があり、中央アジア遠征(1924-1928)の終了後にリョーリフ家が定住した。ここでニコライ•リョーリフは数々の作品を制作し、更にリョーリフによって設立された「ウルスヴァティ」というヒマラヤ研究所の作業もここで行われた。
そしてこの場所で、1947年12月13日、芸術家、科学者、思想家であったニコライ•リョーリフの人生の旅は終焉を迎えた。
ロシア語からの翻訳者:
オレクサンドル・チスチャコフ
翻訳補助:
加藤 はる花