ニコライ•リョーリフ。「まだ去りぬ」
1917年
40,6 х 79,5 cm
ベニヤ板 テンペラ画
「まだ去りぬ」この絵画は、おそらく、セルドボル(ソルタヴァラ)の「ジェニツァの家」に滞在中にニコライ•リョーリフによって制作された。
当時の手紙の中で、ニコライ・リョーリフはこの桟橋について次のように述べていた。
「窓の前は非常に重要な場所であり、蒸し器の到着の場所である!」
当時画家は、北の自然に入り込んでいった。
この自然は何世紀にもわたって、カレリア人、フィンランド人、サミ人の文化と伝統を育んできた。それらの民族は強い北風に育てられ、冷たい海や湖の波に可愛がられ、まばらな日差しの下で力を与えられ、この風や波や太陽の存在なしには己の存在を想像することが出来ない民族であった。
この作品は冬の風景を捉えていた。
高い岸辺には、サミの衣装を着た男性と、長いあごひげを生やした老人がいる。老人の衣装は、ニコライ•リョーリフの「ヘビ使い」の絵に描かれた蛇使いの服装に似ている。
この絵画はこの「ヘビ使い」と同時期に描かれた。カレリアの魔法使いは人々の生活において重要な役割を果たしていた。伝説によると、彼らの呪文の力は、空気、水、火、鳥などの動物を支配する事が出来た。カレリア・フィンランド族の叙事詩「カレヴァラ」の中には、たとえば次のような節がある。:
船よ 風に乗り 英雄を運び去れ
霧の国 ポエルへ
黄昏の国 サリオラへ!
絵画の背景には港の近くに、屋根が雪で覆われた建物が描かれている。赤と黄色で描かれたそれらの壁は、作品の構成を分割しているかのように、明るい列を成している。桟橋の明るい帆の下で、それらの船は桟橋に船首を向けている。
カレリア人の伝説によると、船首が港を向いている船は彼らのものであり、沖を向いている船は他人のものである。
ニコライ•リョーリフの ”道” に対する想いは、多くの作品に反映されている。
この作品を描いた後には、画家の「彼の国」シリーズにある「覚えなさい」(1924年)という絵画でもそのアイデアは強く表現された。
このカレリアで描かれた作品においても同様に、人生と精神的な道の選択に関する画家の考えを非常に良く反映している。
この絵画の中でニコライ・リョーリフは、その空に木の質感と色に似せた印象を与えるため、ブラシストロークによってわずかにその空を強調した。この技法は、雲に覆われた夜明けの低い空の印象を作り出す。
そしてこの作品は、1918年にストックホルムにて、1919年にヘルシンキにて、1920年から1922年にかけてアメリカの都市の巡回展にて公開された。
ロシア語からの翻訳者:
オレクサンドル・チスチャコフ
翻訳補助:
加藤 はる花