ニコライ•リョーリフ。『正義の孔子』

 

の作品はそのホールの作品です。
 
著作権者のサイト
 

 

『正義の孔子』

「東洋の大旗」シリーズ

1925年

73,8 x 116,9 cm

キャンバス上のテンペラ画


 

 

この絵画はピール・パンジャルのカシミールで作成され、ここでニコライ•リョーリフは「東洋の大旗」シリーズの制作を全て終了した。

 

孔子(紀元前551年~479年)は、古代中国の偉大な利他主義者、思想家、哲学者であり、貴族の子孫であった。彼は若い頃に「ルー」という王国(中国東部、現代の山東省)で副官として務めた。これは周帝国の衰退の時期であり、皇帝の権力は名ばかりになってしまった。家父長制社会は破壊し、この頃から貴族だけでなく通常の役人も国の支配へと参加し始めた。

 

孔子は辞任後、彼の考えを各地域の支配者らに伝えたが、その度にそれは殆ど受け入れられず、中国の様々な地域を彷徨うことを余儀なくされてしまった。

 

孔子は60歳前後で帰国し、生涯の最後の数年間を弟子に教えることと、過去の文学遺産を体系化することに専念した。(『詩経』、『易経』等)

 

孔子の死後、先生の話の資料に基づき、弟子たちは『論語』を編集した。その本は、儒教の中でも特に信仰される本となり、それ無しでは中国人の伝統的な世界観と、社会心理を真に理解することは不可能だとされた。

 

絵画、「正義の孔子」の中で、ニコライ•リョーリフは儒教による、”完璧な夫が持つべき5つの美徳(儒家五常)” の1つ、「正義」を反映した。

 

それらの5つの美徳は次のとおりである。

 

仁 ー 人情味、穏やかで平和な他人への尊敬や愛

智 ー 知恵、知性

義 ー 正義、義務、誠実さの倫理の順守(特に家族と仕事に関して)

禮 ー 服従、繊細さ、礼儀、落ち着き

孝 ー 両親の意志への忠心

 
孔子の人生について、ニコライ•リョーリフは次のように残している。:
 

「平和と正義で偉大な孔子でさえも、人々によって迫害されていたので、彼はいつでも出国出来るよう馬車を準備し続けなければならなかった。そして、孔子は自身の人生の殆どを強制的な旅に費やしたという事実を、歴史は私達に伝え続けた。しかし歴史は、無知な迫害者の名前を深淵に投げ捨てた。逆に孔子の名は人々の記憶に残っただけでなく、そして何千年もの時を超えただけでなく、現在や現代の意識の中で更に強化され続けている。」

 

絵の中では、”亡命中の旅人” である孔子が山間部で馬車に乗っている。山々の峰は、雲の海の中で空へ向かってそびえ立つ。山の斜面は高貴な栗色の配色で描かれた。乳白色の雲が山々を包み込み、作品の構成を天と地の2つのレベルに分割している。これは、天と地に奉仕するというアイデアを強調していた。

 

ニコライやエレーナ•リョーリフの文学作品や彼らの弟子との交流の中で、孔子の名前は繰り返し言及されていた。エレーナ・リョーリフは弟子への手紙の1つに、このような言葉を記していた。:

 

「偉大な賢者、孔子が重病になり、死にかけていると言って友人が訪ねてきました。孔子に祈りを捧げ始めることを提案していましたが、それに対して賢者は、「私の祈りはずっと前に始まっていた。」と、ただ微笑んでいました。彼は自身の人生において、”最高の理想” の前に祈りながら生き続けたので、それが最高(光)の前の正真正銘の祈りとはならないでしょうか?」

 

「アルタイ・ヒマラヤ」という旅行記でニコライ•リョーリフは、孔子の教えの基礎である協同体のアイデアを強調し、多くの諺を書き留めた。その中には、「人は天と地の協力者にならなければならない。」というものや、「続きが達成できないことは何もない。毎日、土篭を持参し続ければ、最終的に山を盛り上がらせることが出来る。」などの諺である。

 

 

 

 

ロシア語からの翻訳者:

オレクサンドル・チスチャコフ

翻訳補助:

加藤 はる花

2021-22

 

 

 

#リョーリフ #博物館 #リョーリフ博物館 #美術 #バーチャルツアー #文化 #ロシア #世界遺産 #多元世界 #アグニヨーガ #生きる倫理 #精神 #東洋の大旗 #新世界 #光と影 #戦い #サシャ #LINEBLOG #LINEブログ