ニコライ•リョーリフ。 『使者』

の作品はそのホールの作品です。

リョーリフ博物館:大師のホール

 
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『使者』

1922年

101,8 х 73,9 cm

キャンバス上のテンペラ画

 

 

絵画『使者』(初版)はニコライ・リョーリフが1920~1923年のアメリカ滞在中に完成させた。

「使者の到来」というアイデアによって統一され、同じ構図を持つ1924年の第2版と1946年の第3版の作品も知られている。

この絵画『使者』は、ニコライ・リョーリフ博物館のコレクションに含まれているが、1922年のバージョンは他の二作品とは異なり、絵具層がすり減っている。

 

1924年にインド北部のダージリンに滞在中、別のバージョンの『使者』を制作し、その作品は1925 年にアヂャル(Adyar)に位置する神智学協会に寄付された。

1924年3月31日付の協会会長アニー・ベサント宛の手紙の中で、ニコライ・リョーリフは次のように記している。:

 

「ブラヴァツキー博物館への贈答品として、ここで描かれ、この偉大な女性の記憶に捧げられた私の『使者』という絵画を差し上げる心づもりであります。この絵画のスケッチは、最近ニューヨークでオープンした私の作品専用の博術館で見ることができます。」

 

エレーナ・ブラヴァツキーは、1875年にニューヨークで設立された神智学協会の創設者兼会長であり、設立当初からその協会の主な目的の一つは、東洋の難解な哲学の基本を西洋に理解させることである。

彼女は『ヴェールをとったイシス』(1877年)、『シークレット・ドクトリン』(1888年)、『神智学の鍵』(1889年)、『沈黙の声』(1889年) 等のインドに関する歴史的および文学的エッセイや、他の数多くの著書を記した。

リョーリフ族はエレーナ・ブラヴァツキーを高く評価し、最大の敬意を払って彼女と接していた。

エレーナ・リョーリフは次のように発言している。:

 

「私は優れた同胞の偉大な精神と、彼女の燃えるような心を前に敬意を示します。そして将来ロシアでは、彼女の名声が適切な領域にまで高まることは明らかです。エレーナ・ブラヴァツキーは本当に私たちの国の誇りです。彼女は光と真実のための偉大な殉教者であり、彼女の永遠の栄光を願います。」

 

この絵画の第3版はニコライ・リョーリフの創作活動の後期に属しており、1946年に手がけたものである。

 

このバージョンの『使者』はということである。

 

3作品すべての全体的な配色は藤色を主調とし、桃、黄、青、緑、茶色が散りばめられており、この作品は使者の到来時の荘厳な雰囲気を醸し出している。

寺院の内側からの視点で描かれたこの絵の構図は珍しいものである。しかしこの構図のおかげで、扉を開けた女性だけでなくこの絵のすべての鑑賞者が、そこに現れた使者の到来を見ることができる。

 

使者の背後では雷のような黄金色の夜明けが濃紺な空を照らし、山々の美しい世界の輪郭を描き出している。この絵の筋立ては、ニコライやエレーナ・リョーリフの精神的な伝記と関係している。スヴャトスラフ・リョーリフはかつて、これについて次のように述べた。:

 

「我らは、どこかに存在し我らの扉を叩く使者を求め続け、待ち続けられなければなりません。父の絵画『使者』は、まさにこの瞬間を、使者の現れの瞬間を描いているからこそ素晴らしい物なのです。」

 

1946年、ニコライ・リョーリフは次のように発言した。:

 

「想定していなかった数々の使者が訪れました。私の最初の絵画の作品名が『伝達者』だったことは偶然ではなく、それ以来、あらゆる種類の『使者』が私自身が非常に好む私の作品の特徴となっていきました。そして絶え間ない旅の中で現れる『使者』は特に形姿に富んでいます。様々な種類の衣服や帽子を身に着けていますが、どの使者も同じような優しさに溢れた笑顔を持っています。」

 

 

 

ロシア語からの翻訳者:

オレクサンドル・チスチャコフ

翻訳補助:

加藤 はる花

2021-22

 

 

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