ニコライ•リョーリフ。『勝者 仏陀』
『勝者 仏陀』
「東洋の大旗」シリーズ
1925年
74,2 x 117,7 cm
キャンバス上のテンペラ画
絵画『勝者 仏陀』は、ニコライ・リョーリフによってカシミール地方にて制作された。
仏陀(サンスクリットで「目覚め」、「悟りを拓く」の意、紀元前6世紀)は、”シッダールタ・ゴータマ・釈迦牟尼” という名の北インドの一つの州の王子であり、仏教の創始者でもあり、”仏陀” の名で世界中に広まった。
彼は人々の苦しみや病気、老衰、死を目の当たりにして退位し、精神の探求に身を捧げた人物である。悟りを拓いた彼は輪廻転生から開放され、彼が啓示された真理である “快楽と自虐の両極端の間にある救いの中道” について説き始めた。
仏陀の個性やその教えが、リョーリフ族で崇拝されていたということは、エレーナ・リョーリフによって記された『仏教の基礎』とういう書物や、チベット仏教の歴史と文化に関するユリー・リョーリフの数多くの作品、そしてニコライやスヴャトスラフ・リョーリフの仏教のテーマに関連する絵画、およびリョーリフ族によって収集された仏教の並外れたタンカのコレクションなどによって証明されている。
絵画『勝者 仏陀』では、仏が敵の大群を倒す姿ではなく、じっと瞑想する姿が描かれている。
ジーナ(サンスクリットで「勝利者」の意)とは、欲望に勝ち、マラという死神の陰謀に打ち勝ち、そして輪廻の世界から抜け出した仏陀を表す言葉の一つである。
仏陀が悟りを拓く前に、死神マラは仏陀へ幻想の街を支配するよう促したり、美しい女性からの愛を受け取らせようと試みたが、それらは失敗に終わった。
画家は周囲全てが黄金に照らされ悟りを拓いた、光り輝く仏の姿を描いたが、それは無知の闇を乗り越え、悟りの境地、すなわち最高の勝利を手に入れたことを象徴している。
悟りを拓いた者の背後にある岩は明らかに男性の横顔のようである。命が宿っているような岩のイメージは多くのニコライ・リョーリフによる作品の特徴の一つであり、実際のヒマラヤの風景に影響されている。
この作品では、洞窟の地下湖のほとりに座っている仏陀が描かれている。
チベットのタンカでは、湖は重要な属性であり、直感的、全体的に認識された深い知恵を象徴している。
リョーリフは、仏陀の姿を珍しい視点から描いている。この悟りを拓いた者は古典的な「蓮華座」に座り、右手は地面に触れる ”ムードラ” の形を取っているが、角度的に全身は4分の3ほどしか描かれていない。
図像の規範と画家の解釈のこの組み合わせは、神聖な存在や人間を結びつけながら、同時に人としての仏像と、より崇高な存在としての仏像を作り上げているようだ。
ニコライ・リョーリフは次のように記している。:
「仏陀は遠く離れた山の奥地へと行ってしまいました。そしてナイランザラのほとりにおいて、仏陀は協同体についてや、所有に執着しないこと、そして共通の善のために行われる労働の意味や、知識の意味についても伝授するよう決その覚悟で自身を照らしました。宗教への科学的なアプローチを確立することは真の偉業でしたが、司祭とバラモンの私利私欲を暴くことは究極なまでに大胆不敵なことでした。人間に潜んだ力の真の姿を明らかにすることは極めて困難でしたが、力強い乞食のような姿で王様が訪れたことはとてつもなく素晴らしいことでした!人類の進化を実現する上で、共同体である仏陀の姿は紛れもなく美しく重要な位置を占めていました。」
ロシア語からの翻訳者:
オレクサンドル・チスチャコフ
翻訳補助:
加藤 はる花