リョーリフ博物館:中央アジア遠征のホール

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 中央アジア遠征は、ニコライ•リョーリフの人生の主要な出来事となった。1924年にインドから始まり、そのルートは中国、シベリア、モンゴル、チベットを通過し、1928年の終わりにインドへ戻った。アジア内陸部のほとんど開拓されていない通行不可能な地域を遠征のルートで囲んだようだ。遠征隊には、遠征隊のスタッフに加えて、リョーリフ自身、妻のエレーナ、長男である科学者兼オリエンタリストのユリーが含まれていた。
 「芸術的な仕事に加えて私たちの遠征では、中央アジアの古代遺跡の状態を知り、現在の宗教や習慣の状態も観察し、民族移動時代の足跡を確認することにも尽力した。」
という言葉を、ニコライ•リョーリフは残している。
 ホールでは、中心に置かれた立体地図で、遠征キャラバンのルートが確認出来る。そして、遠征中の数々の出来事やニコライとユリーがチベットで収集した個性的な考古学コレクション、ニコライが後に出版した彼の旅行記なども展示されている。そして遠征中に描かれた絵画では、ヒマラヤの光り輝く山頂が美しく描かれている。
 遠征中にニコライ・リョーリフは、「釈迦やキリスト様が通った道」、「シェカル・ゾン」、「最も偉大で神聖なタングーラ」等の作品を含む、約500点の絵画を描き上げた。この博物館には、1930年代に彼らの末息子のスヴャトスラフの手によって描かれた、崇高なラマの衣装を着たニコライ•リョーリフのユニークな肖像画も展示されている。
 遠征隊は、アジア最古の文化の土地を通過した。その過程で、膨大な科学資料が収集され、後にニコライによって幅広い哲学的観点から処理され、証明された。科学的活動に加えて、中央アジア遠征は進化の一部を担っていたが、その重要性は未だに確認されつつある状況である。
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1924年から1928年までの遠征ルート
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中央アジア遠征中のユリーとエレーナ•リョーリフ
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征中の天幕
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青銅「アニマルスタイル」
 (リョーリフ一族のコレクションの一部)
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遠征中のチベットでのキャンプの様子
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チベットでの遠征キャラバン
 
 
 
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『夜のヒマラヤ』

1938年

30,3 х 45,6 cm

ボール紙上のテンペラ画


 

  

この絵画では、青緑色の空を背景に、夜の闇に沈みそうな山脈の頂が明るく際立ち、手前には暗い山脈が描かれている。

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『ヒマラヤ。 雪の王国。』

1938年

30,4 х 45,8 cm

ボール紙上のテンペラ画


 


この絵画では、色あせた灰色に染まった薄紫色の空を背景に、雪の王国への道しるべや、氷のような山脈のシルエットが際立っている。前景には、別の山塊が上昇し、その斜面には濃く青い影があり、右下には青い山の突出部がある。

 

ロシア語からの翻訳者:

オレクサンドル・チスチャコフ

翻訳補助:

加藤 はる花

2021-22
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ホールの展覧品の描きの纏め:
 
 
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