ニコライ・リョーリフ。 『ナーガ族の湖』 カシミール。

の作品はそのホールの作品です。

 

リョーリフ博物館:中央アジア遠征のホール

 
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『ナーガ族の湖』 カシミール

1945年

30,6 х 45,7 cm

ボール紙上のテンペラ画

 

 

『ナーガ族の湖』では、深い灰色の荒々しい岩がそびえ立ち、湖の水面は微動だにしない。ナーガ族の姿は描かれていないが、この作品の色彩が神聖な湖に存在する奥深くの神秘を表す感覚を驚くほどに伝えている。

この絵を見ると、何世紀にも渡る伝説との繋がりを感じることができる。

 

ニコライ・リョーリフは自身の作品の中では常に伝統的に神聖と言われている場所に目を向けていた。そのような場所は、本質的に宗教的崇拝の対象よりも計り知れないほど大きな意味を持つ。なぜなら、後に迷信となった真実の背後には古代の知識や何世紀、あるいは何千年も前の知恵が隠されているからだ。


インド北部(ジャンムー・カシミール州)では、これらは全てナーガ族の崇拝に関するものである。


※ナーガ:深い知恵を象徴する上半身が人間で下半身がヘビの神話上の生き物

 

 

 

インド皇帝アクバル(1542〜1605)の宮廷に住む歴史家のアブルファズルでさえ、この土地について次のように書き残した。


 「カシミールには、シヴァに捧げられた45の場所、ヴィシュヌに捧げられた64の場所、ブラフマーに捧げられた3つの場所、ドゥルガーに捧げられた22の場所がありますが、それらの谷にはヘビの像が刻まれている700の場所があります。住民はそこで祈りを捧げていました。」

 

ナーガ族は、古代に生きた神話上の生き物として認識されている。

神聖な湖や泉の近くに住む本物のヘビを装った彼らは、歴史的な王朝の祖先であり、今日でも崇拝の対象とされている。

ナーガ族のカルトに関する最も価値ある資料は、リュドミラ・シャポシュニコワによって書かれた『巨匠の軌跡』という著書の中でまとめられている。


「ナーガは王であるだけでなく、賢者、指導者、魔術師、すなわち文化の英雄でもありました。カシミールのナイルという首長のナーガは著書を記し、その本は後に青いニラムナグ川に浮かび上がりました。この本には、生き方、崇拝の対象、特定の場合の振る舞い方についての賢明なアドバイスが含まれていました。ナイルという名のナーガは、カシミールの人々に強い文化的伝統を植え付けました。タクシャカというナーガは、未知の土地から貴重なサフランの種を持ってきました。彼がそれを人々に与え、育てる方法を示した結果、そのサフランはカシミールの富の一つとなりました。さらにナーガ族は天候を司り、医学に関する豊富な知識をも備える、超感覚的視覚と聴覚を持ち合わせた存在でした。」


伝説によると、偉大な仏教哲学者ナーガルジュナは、ナーガ族から大乗仏教の経典を入手していた。


この北インドに位置するナーガ族の聖域の一つは、数ある記録の中でも初期の頃に玄奘という偉大な中国人旅行者によって7世紀に残されたものである。

当時、彼の活動はリョーリフ族によって非常に高く評価されていた。ナーガの住んだ水域に関する伝説は、玄奘にとって単なる伝説ではなく、古代の出来事が反映されたものだった。湖の底のナーガ族の水中宮殿についての伝説は、何世紀にも渡って伝えられている。現代のインドでも、この奇跡を目撃した人を見つけることは不可能ではない。


「網を折り畳んだ後、彼は思慮深く水を見つめました。彼はいくつかの動く影を見つけた後、鋸歯状の壁を視界にとらえました。街を囲んだその壁の内側には石造りの家が立ち並び、その中に巨大で美しい宮殿がありました。彼は、太古の昔からその湖に住んでいたマハパドマという偉大なるナーガの紫禁城であると即座に理解しました。」


ナーガマハパドマとその水中都市の伝説は、著名な考古学者であるオーレル・スタイン卿の目を引くこととなった。彼は、「都市の遺跡は水中で確認できます。」と述べていた。


この話は、以下のニコライ・リョーリフの言葉を裏付けるものである。


「一般的に、古い中国の記録の正確さは正当に評価される必要があります。我々はその正確さを何度も確信してきました。」


 

 

 

ロシア語からの翻訳者:

オレクサンドル・チスチャコフ

翻訳補助:

加藤 はる花

2021-22
 
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