ニコライ•リョーリフ。「命令」

の作品はそのホールの作品です。
 
 
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『命令』

1921年

50,2 х 76,2センチ

キャンバスへテンペラにて


ニューヨークで作成された絵画「命令」は、「ヒロイック」(1917-1918)のシリーズに含まており、同名の絵画作品の後のバージョンである。この2つ目のバージョン(1921)では、ニコライ•リョーリフは元の構成を実質的には変更していない。ただし、あまり目立たない風景の細かい部分だけが少し異っている。


この絵画における寒さの厳しい北の風景は、冷たい雰囲気を醸し出す鮮やかな青や、深みがかった紺、そして深緑などの色調で表現されている。

岩礁は岩の鎖に繋がれつつも、凍った海の空間に逃げ出そうとしているようだ。岩と同じ形のピンクがかった真珠のような光で照らされた雲達は、地平線へと流れている。この構図では、岩礁の輪郭や、雲、そして岩の上に佇んでいる人の空高く挙げられた手は、全て絵画の右側の一点に焦点を合わせ、そのすべてが未来へと向けられている。

その男は後方部から描かれた。彼の丈長な上着と帽子は太陽の光に照らされ、赤い黄土色の閃光が燃えている。


誰が命令し、誰がその命令を受け取るのか?ここには確かな答えはない。この作品の"命令"とは、この絵画全体に滲み出た雰囲気そのものである。命令は空気に響き渡り、水上を走り、命令は岩をも覆う。人の心身はその命令で溢れかえっている。


ニコライ•リョーリフは1918年に、「ヒロイカ」のシリーズと同時に制作した彼の「焔(ほむら)」という物語の中で、このような事を語った。


「我々の盲目により奇跡は見えず、無知により溢れる可能性もわからない。

 来い 手にしろ 未来を築け。


 だが、


 命令は響き、ほむらが色を変える。


 新しい人生の頁を捲るための力を感じる。

 何も妨げるものはない。過去も関係ない。」



この絵画の中に佇む男にとっては、この言葉を発することくらい容易に出来てしまうだろう。

 

そして1920年の初めに、実際にリョーリフ族の新しい人生の頁は開かれた。

彼らはヨーロッパで1年を過ごした後、アメリカに居住を移したが、彼らの文化的な建設はここから始まった。
当時、アメリカでは教師の指示により、社会的および文化的機関の基礎が築かれていた。

それは、ユナイテッドアーツのマスター•インスティテュート、コロナムンディ(Corona Mundi/世界の冠)という国際センターや、コーアーデンズ(Cor Ardens/燃える心)という画家のアソシエーション、そして、ニコライ•リョーリフの博物館である。


ここには教師の命令が響いた。


カレリアでは大規模な作品を描く場所が確保出来なかったため、1917年にカリレアで描いた「ヒロイック」シリーズのスケッチを、アメリカに移住後大きなキャンバスの上でそのバージョンを完成させた。


おそらく、「命令」(1921年)というこの作品は、ニコライ•リョーリフのアイデアが反映されたものである。

 
 

ロシア語からの翻訳者:

オレクサンドル・チスチャコフ

翻訳補助:

加藤 はる花

2021-22

 

 

 

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