ニコライ•リョーリフ。『イエスキリストの大杯』
1925年
74,7 x 117,7 cm
キャンバス上のテンペラ画
絵画「イエスキリストの大杯」はニコライ•リョーリフによって、カシミールにて制作された。「イエスキリストの大杯」の絵画の筋立ては「大杯についての祈り」と言う新約聖書(福音)のエピソードと繋がりを持っていた。
それはキリスト様がユダの非難で拘留される前夜、ゲッセマネの園でのキリスト様の祈りである。自身の茨の道を予感しつつ、キリスト様は神に呼ばれ、「お父さん!出来れば、この杯をどこか違うところへと持ち去って下さい。しかし、貴方の意思には従います。」
しかしニコライ•リョーリフの絵画の内容は、福音の筋立ての描写よりも更に広い。この作品には、通常であれば作品に含まれているはずの3人の弟子も、武装した男も、ユダも存在しない。
ニコライ•リョーリフは、最高の自己犠牲の大杯を受け入れる前の、祈りに夢中になっているキリスト様の姿に焦点を当てている。
キリスト様の姿は、意図的に左上の隅に置かれた。キャンバスの中央や背景は、夜景と山中の街のシルエットで満たされている。
キリスト様はこの光りの街を築き上げ、強化するために、自己犠牲や偉業、試練、苦しみの大杯を受け入れ、地球上で最も崇高な聖約を交わした。その街は光の街の象徴である。
大杯の概念には深い宇宙的な意味があり、エレーナ・リョーリフは次のように解釈した。:
「もちろん、あるタイプの意識によって理解されているキリストの犠牲を、完璧に理解することは不可能です。また、はりつけの意味も絶対に受け取ることは不可能です。
実際、イエスキリストは物質の上に精神の力が存在することを証明しました。ここでもたらされた聖約(最高の愛は自身の魂を友に捧ぐ)を自分の血で人類の魂に刻み込むために大杯を受け入れました。自発的な犠牲や、自己犠牲によって世界は成立しています。
自己犠牲の大杯は、数々の高次元の世界では言葉では言い表せられない程の喜びで輝いていますが、この世の中の大杯のみ、その試練の苦難、苦味や毒で満ちています。自己犠牲を理解した精神は、至高の美しさです。美と自己犠牲が万物の基盤です。」
ロシア語からの翻訳者:
オレクサンドル・チスチャコフ
翻訳補助:
加藤 はる花