ニコライ•リョーリフ。「聖なる春」

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『聖なる春』

1945年

35,5 х 82,0 cm

キャンバス上のテンペラ画

 

この絵のアイデアは、1910年から1912年の間に公演されていた、イゴル•ストラヴィンスキー監督のバレエ舞台の装飾からきている。

リョーリフはこの舞台装飾に感銘を受け、1930年代から40年代にかけてこの絵画の制作に力を注いだ。その後1944年に、アメリカにてロシアのバレエの数々の舞台を再開することを望んでいたミャシン監督から依頼を受け、リョーリフは「聖なる春」の新作のための舞台装飾のデザインの考案を繰り返した。1945年に彼はインドのヒマラヤクルー渓谷にて、同じ名前「聖なる春」という名のイーゼル作品を二部制作した。


そのうちの一部は、モスクワのニコライ・リョーリフ博物館に展示されることとなった。

この絵画では、岩石に囲まれた古えの聖域の中心にある大きな岩の上に、洗練されたスラブの服を着た若い女性が重要なお告げを待つかのように、遠くをじっと見つめながら座っている。


新緑の中、丘の傾斜に降り注ぎ変化する日光の中、空高く広がる淡いピンク色の夜明けの中、澄んだ湖の中、春の自然は厳かで荘厳である。


この作品で画家は、毎年春に目覚め新しいものを創造し続ける偉大な循環法則に宿る期待と人の春を待つかのような未来への期待を重ねていた。


この絵画は大祖国戦争におけるロシアの勝利の春についても表している。

この悲劇的な戦争の間、ニコライ・リョーリフは祖国の運命と自分の運命を決して切り離して考えることはなく、祖国の運命と共に全てを受け入れようとしていた。彼は勝利を信じながら、その春を聖なる春と呼んでいた。

この若い女性のイメージからは、勝利の春の到来を切望しその時を待っている画家の故郷のイメージが彷彿される。


ニコライ•リョーリフにとって「聖なる春」の特長的なコンセプトは、深く彼の心に響き渡り、それらは永遠の善や、精神の光に狙いを定め、創造的なエネルギーを通して世界と人間の結び付きをこの絵の中で表現していた。


「もちろん、精神の創造的な献身は、美しい自然の法則への喜びは、そして英雄的な自己犠牲は、『聖なる春』の主な感情となっている。」


と、ニコライ•リョーリフはこの絵画について述べていた。 


「これは魂の永遠のお祭りである。これは、私たちの天地の存在の融合における愛と、自己犠牲の称賛である。永遠の『春』の新しさや神聖さは永遠のものであり、愛も永遠のものであり、自己犠牲も永遠のものである、ということだ。」

 
 
 

ロシア語からの翻訳者:

オレクサンドル・チスチャコフ

翻訳補助:

加藤 はる花

2021-22

 

 

 

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