ニコライ•リョーリフ。「カレリア」
と、ニコライ・リョーリフは「日記の葉」で述べた。
狭いラドガ湾のほとりにあるソルタヴァラにて、リョーリフ族はソルタヴァラ教師神学校のオスカル・レランダー総長が所有していた「ユキンラクティ」という屋敷(フィンランド語の「ユニティ湾」)を借り、そこに滞在した。
その後1918年の年始までに、この神学校の講師および生物学者である、アルヴィド•トルステン•ゲネトツの家へと再び居住を移した。この時、ニコライ・リョーリフは「ヒロイック」や「カレリア」などの一連の絵画にも取り組んでいた。そしてその年の春に、リョーリフ家はヴィボルグの商人であるバリノフの邸宅がある、トゥロランサーリ島へ移った。
「私に忍び寄る肺炎にとって、フィンランドの気候は素晴らしかった。」
と、ニコライ•リョーリフは回想した。
当時の言葉も残っている。:
「現在、私たちはソルタヴァラからフェリーで1時間のところにある、トゥロランサーリに住んでいます。ここでの仕事はとても捗ります。このような場所の自然が大好きです。」
トゥロランサーリ島でニコライ•リョーリフは、主に自伝的な、焔(ほむら)という物語を執筆していた。このエッセイに、彼は自分の北の自然への想いを定義した言葉を残した。:
「北を大切に思いなさい。誰かが "北は暗い、乏しい。" と言うと、その人は北を全く知らないということを意味します。北から授かる喜びを、陽気さや強さを、他の所で見つける事が出来るでしょうか。偏見なしに北へ向かうべきです。そんな青空がどこにあるのでしょうか?銀色の水がどこにあるのでしょうか? 真夜中に鳴り響く銅色の日の出は?オーロラの奇跡とは?」
画家の鋭い目は、北の自然の特殊性をも捉えていた。ニコライ•リョーリフは北の自然の彩りも、荘厳で荒々しい表情も、様々な色調や奇妙な形も全て自分の作品に反映していた。
ロシアの作家レオニド・アンドレーエフは、”この様な作品を描くには北を愛していなければ描くことはできない。” という想いから、リョーリフについての書籍の中で以下のような言葉を残した。
「...(省略) 北を愛するべきです。地図に無いリョーリフの国家は北にも広がっています。その様な理由から(たった一つの理由ではありませんが)リョーリフは唯一無二の北の詩人であり、歌い手であり、北の神秘的な魂の通訳者です。この魂は、北の黒岩のように深く智栄に満ち、春の淡緑のように瞑想的で優しい。北の白く煌めく夜のように明るく、眠れない夜のようであります。」
ラドガシリーズの作品は、北の自然の奥深さを完全に伝えている。
「カレリア」(1916年?)のスケッチでは、ラドガはその珍しい美しさを見せ、様式化された海岸線と背景の島々は、鏡のように描かれた水面によって分割されている。この風景は鳴り響くような純粋さで溢れてる。
「石や岩が共鳴を守る。その共鳴は湖へと沈んでゆく。」
と、ニコライ•リョーリフは言葉を残している。
ロシア語からの翻訳者:
オレクサンドル・チスチャコフ
翻訳補助:
加藤 はる花