リョーリフ博物館:平和の旗のホール

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このホールの主な展示品は「平和の旗(文化の旗)」であり、この旗は人類最古の象徴を表している。円の内側にある三つの赤い丸はそれぞれ、過現未(過去、現在、未来)を示しており、これら三つが文化の円で一つに囲まれている。また、この三つの赤い丸は、芸術、科学、宗教を示しているという解釈もできる。ニコライ・リョーリフは「リョーリフ条約」と呼ばれた文化財の保護に関する最初の国際条約に、この旗をその条約のシンボルとして提案した。
 1929年にニコライ・リョーリフが多くのヨーロッパの弁護士と協力し、この国際条約の原案を作成した。この条約の推進と承認までのプロセスや書類等の記録が写真で確認出来、また、規約を維持する為の会議への招待状も、会議の参加者の写真と合わせて展示されている。
 これらのパンフレットは、この条約の内容を人々に周知するために世界各国で配布されたものであり、ここにはそのいくつかが展示されている。
 写真の1つには、1935年4月15日にワシントンのホワイトハウスでルーズベルト大統領の元で行われたリョーリフ条約の調印の歴史的瞬間が捉えられている。この日は記者等によって「全人類の輝かしい祭典」と呼ばれた。
 現在、国際リョーリフセンターが率先して条約の内容を世界に広め、平和の旗の周知を推進している。このホールには、条約を維持するための周年記念会議への招待状や、地球上の最高峰にて撮影された平和の旗の写真、南極と北極での写真、そして宇宙を訪れた際の写真が展示されている。
 このホールの中央にある地球儀では、ミニチュアの平和の旗や、旗のシンボルマークによってその旗が過去に掲げられたことのある峰や都市などの位置が示されている。
 平和の旗やリョーリフ条約は、戦時中だけではなく、とりわけ平時においても文化財を保護する必要性を定義している。文化財を破壊することは、ニコライ•リョーリフの考えや「生きる倫理」の考え方によると、次の人類の進化の基盤をも破壊することを意味する。
 リュドミラ・シャポシュニコワは、「リョーリフ条約は全人類を宇宙進化の道へと導き、文化財を通して高次元の世界と繋がる。そしてこの条約は、世の中の闇や混沌を乗り越えるための宇宙現象の一つである。」という言葉を残している。
 
 
ブルージュでのリョーリフ条約の為に開催された最初の国際会議の代表達。  1931年10月
 
条約の推進と承認までのプロセスや書類等の記録

 

 

 

太陽系の小さな惑星「リョーリフ」の軌道図

 この惑星は1969年10月15日に天文学者チェルニフによって発見された


 

左から:チュコフ(ロシア)、ドラボ(ベラルーシ)

そして、平和の旗を掲げたアムンゼン・スコット南極基地のアメリカ人研究員  

2000年1月8日

 

 

 

宇宙ステーション「ミール」 内で平和の旗を掲げる

宇宙飛行士バランディンとストレ

    1990年8月

 

 

 

 

 

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リョーリフ条約署名式 (ホワイトハウス,  アメリカワシントン州)

1935年4月15日

 

 

リョーリフ条約

 


芸術的、科学的機関および歴史的記念物の保護に関する条約です。

この条約は、21のアメリカ共和国の代表らによってホワイトハウスにて1935年4月15日正午に署名されました。

 

 

リョーリフ条約に関する第7回米国国際会議の決議

 

第7回米国国際会議

決定事項:

 

米国のリョーリフ博物館で開始されたリョーリフ条約に、まだ署名していないアメリカの州の政府に対し、この条約に署名し参加することを勧めます。

この条約は、国有財産であるすべての文化遺産、記念碑に如何なる脅威が発生した場合においても確実に保護するための規約で構成されています。また、旗の柄で広く知られている「平和の旗」の世界的な認知を目指しています。

 

1934年4月4日に理事会によって承認された、汎米連合(パンアメリカンユニオン)における特別委員会のリョーリフ条約に関する報告です。

 

リョーリフ条約は最初にニコライ・リョーリフ博士によって発案され、芸術科学機関の保護に関する協定で概説されたアイデアの実施を促進するために、汎米連合(パンアメリカンユニオン)が講じることができる措置に関する理事会に代わって委員会は報告書を作成しました。これは、第7回米国国際会議によって米国に推奨されたものであり、次のことを報告できることを光栄に思います。

 

委員会は、リョーリフ博士が世界協定として最初に提案した文書の中で定めていた基本原則に基づき、理事会で検討するために提案された米州相互援助条約を草案の形で概説します。


この規約は1935年4月14日、またはそれ以前に代表者が署名する権利を受け取った場合は、直ちに署名しなければなりません。そして委員会は、連合加盟国の政府が理事会の代表者に対してこの規約に署名するために無条件の権限を与えることを推奨します。

1935年4月14日以降、この協定は他の州の加盟のために開かれます。


 


芸術的、科学的機関および歴史的建造物の保護に関する条約(リョーリフ条約)


締約国は、 1933年12月16日にモンテビデオで開催された第7回米国国際会議に出席したすべての州によって承認された決議を条約形式にし、戦時と平時における国有財産であるすべての文化財の尊重と保護の為、また、すでに設置され一般的に知られている「平和の旗」の世界的な認知を目指す為に、米国のリョーリフ博物館で開始されたリョーリフ条約に署名することを決定しました。そして以下の条項に同意しました:

 

 

第1条

 

歴史的記念物や博物館、そして科学的、芸術的、教育的、また文化的機関は中立であると見なされており、交戦国によっても尊重され保護されています。

上記の機関の職員も同様に、同じ敬意と保護を享受します。

これらの敬意と保護は戦時と平時の両方で機能し、歴史的記念物や博物館、そして科学的、芸術的、教育的、または文化的機関にまで及びます。

 

第2条

 

前章で言及された記念碑、および機関の中立性や保護、そしてそれらの尊重は、当該記念碑および機関の国籍に関係なく、この条約に署名し加盟した国のそれぞれの管轄下にある地域全体で認められるものとします。

加盟国の政府は、そのような保護と尊重を確保するために自国の国内法においても必要な措置を講じることに同意します。

 

第3条

 

第1条で言及されている記念碑や機関を識別するために、この条約に付属する模範に従い、特徴的な旗(白い背景にある中心の円と、その内側にある三つの赤い丸で構成される)が、それらの機関で使用されます。

 

第4条

 

署名国政府およびこの条約に加盟する政府は、この条約で合意された保護を希望する記念碑および機関のリストを、署名または加入時、またはその後いつでも汎米連合(パンアメリカンユニオン)に送付するものとします。

汎米連合(パンアメリカンユニオン)は、署名または加盟を政府に通知する場合、この条約に関わる記念碑および機関のリストも通知し、他の政府にもそのリストの変更を通知するものとします。

 

第5条

 

第1条で言及されている記念碑および機関が軍事目的で使用される場合は、この条約で規定されている特権が剥奪されるものとします。

 

第6条

 

署名のために開かれた日にこの条約に署名しなかった国は、いつでも署名または加盟することができます。

 

第7条

 

汎米連合(パンアメリカンユニオン)は加盟文書、ならびに本条約の批准または非難の文書の寄託者であり、連合に寄託された各文書について、この条約に署名または加入したすべての国に通知するものとする。

 

第8条

 

この条約は、署名または加盟した国によっていつでも非難される可能性があり、この条約に署名または加盟した他の国への通知から3か月後にその非難が発効します。

 

 

条約の発効は、正当かつ適切な形であることが判明し、全権を預けた後、それぞれの政府に代わってこの条約に署名し、国璽を捺印し署名の隣に日付を記載する。


 

ワシントン、1935年4月15日


アルゼンチン大使、1935年4月15日

FELIPE A. ESPIL

ボリビア大使、1935年4月15日

ENRIQUE FINOT

ブラジル大使、1935年4月15日

OSWALDO ARANHA

チリ大使、1935年4月15日

M. TRUCCO

コロンビア大使、1935年4月15日

M. LOPEZ PUMAREJO

コスタリカ大使、1935年4月15日

MAN. GONZALEZ

キューバ大使、1935年4月15日

GUILLERMO PATTERSON

ドミニカ共和国大使、1935年4月15日

RAF. BRACHE

エクアドル大使、1935年4月15日

C. E. ALFARO

アメリカ合衆国大使、1935年4月15日

HENRY A. WALLACE

エルサルバドル大使、1935年4月15日

HECTOR DAVID CASTRO

グアテマラ大使、1935年4月15日

ADRIAN RECINOS

ハイチ大使、1935年4月15日

A. BLANCHET

ホンジュラス大使、1935年4月15日

M. PAZ BARAONA

メキシコ大使、1935年4月15日

F. CASTILLO NAJERA

ニカラグア大使、1935年4月15日

 HENRI DE BAYLE

パナマ大使、1935年4月15日

R. J. ALFARO

パラグアイ大使、1935年4月15日

ENRIQUE BORDENAVE

ペルー大使、1935年4月15日

M. DE FREYRE Y S.

ウルグアイ大使、1935年4月15日

J. RICHLING

ベネズエラ大使、1935年4月15日

PEDRO M. ARCAYA

 

ロシア語からの翻訳者:

オレクサンドル・チスチャコフ

翻訳補助:

加藤 はる花

2021-22
 
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