リョーリフ博物館:平和の旗のホール
芸術的、科学的機関および歴史的記念物の保護に関する条約です。
この条約は、21のアメリカ共和国の代表らによってホワイトハウスにて1935年4月15日正午に署名されました。
リョーリフ条約に関する第7回米国国際会議の決議
第7回米国国際会議
決定事項:
米国のリョーリフ博物館で開始されたリョーリフ条約に、まだ署名していないアメリカの州の政府に対し、この条約に署名し参加することを勧めます。
この条約は、国有財産であるすべての文化遺産、記念碑に如何なる脅威が発生した場合においても確実に保護するための規約で構成されています。また、旗の柄で広く知られている「平和の旗」の世界的な認知を目指しています。
1934年4月4日に理事会によって承認された、汎米連合(パンアメリカンユニオン)における特別委員会のリョーリフ条約に関する報告です。
リョーリフ条約は最初にニコライ・リョーリフ博士によって発案され、芸術科学機関の保護に関する協定で概説されたアイデアの実施を促進するために、汎米連合(パンアメリカンユニオン)が講じることができる措置に関する理事会に代わって委員会は報告書を作成しました。これは、第7回米国国際会議によって米国に推奨されたものであり、次のことを報告できることを光栄に思います。
委員会は、リョーリフ博士が世界協定として最初に提案した文書の中で定めていた基本原則に基づき、理事会で検討するために提案された米州相互援助条約を草案の形で概説します。
この規約は1935年4月14日、またはそれ以前に代表者が署名する権利を受け取った場合は、直ちに署名しなければなりません。そして委員会は、連合加盟国の政府が理事会の代表者に対してこの規約に署名するために無条件の権限を与えることを推奨します。
1935年4月14日以降、この協定は他の州の加盟のために開かれます。
芸術的、科学的機関および歴史的建造物の保護に関する条約(リョーリフ条約)
締約国は、 1933年12月16日にモンテビデオで開催された第7回米国国際会議に出席したすべての州によって承認された決議を条約形式にし、戦時と平時における国有財産であるすべての文化財の尊重と保護の為、また、すでに設置され一般的に知られている「平和の旗」の世界的な認知を目指す為に、米国のリョーリフ博物館で開始されたリョーリフ条約に署名することを決定しました。そして以下の条項に同意しました:
第1条
歴史的記念物や博物館、そして科学的、芸術的、教育的、また文化的機関は中立であると見なされており、交戦国によっても尊重され保護されています。
上記の機関の職員も同様に、同じ敬意と保護を享受します。
これらの敬意と保護は戦時と平時の両方で機能し、歴史的記念物や博物館、そして科学的、芸術的、教育的、または文化的機関にまで及びます。
第2条
前章で言及された記念碑、および機関の中立性や保護、そしてそれらの尊重は、当該記念碑および機関の国籍に関係なく、この条約に署名し加盟した国のそれぞれの管轄下にある地域全体で認められるものとします。
加盟国の政府は、そのような保護と尊重を確保するために自国の国内法においても必要な措置を講じることに同意します。
第3条
第1条で言及されている記念碑や機関を識別するために、この条約に付属する模範に従い、特徴的な旗(白い背景にある中心の円と、その内側にある三つの赤い丸で構成される)が、それらの機関で使用されます。
第4条
署名国政府およびこの条約に加盟する政府は、この条約で合意された保護を希望する記念碑および機関のリストを、署名または加入時、またはその後いつでも汎米連合(パンアメリカンユニオン)に送付するものとします。
汎米連合(パンアメリカンユニオン)は、署名または加盟を政府に通知する場合、この条約に関わる記念碑および機関のリストも通知し、他の政府にもそのリストの変更を通知するものとします。
第5条
第1条で言及されている記念碑および機関が軍事目的で使用される場合は、この条約で規定されている特権が剥奪されるものとします。
第6条
署名のために開かれた日にこの条約に署名しなかった国は、いつでも署名または加盟することができます。
第7条
汎米連合(パンアメリカンユニオン)は加盟文書、ならびに本条約の批准または非難の文書の寄託者であり、連合に寄託された各文書について、この条約に署名または加入したすべての国に通知するものとする。
第8条
この条約は、署名または加盟した国によっていつでも非難される可能性があり、この条約に署名または加盟した他の国への通知から3か月後にその非難が発効します。
条約の発効は、正当かつ適切な形であることが判明し、全権を預けた後、それぞれの政府に代わってこの条約に署名し、国璽を捺印し署名の隣に日付を記載する。
ワシントン、1935年4月15日
アルゼンチン大使、1935年4月15日
FELIPE A. ESPIL
ボリビア大使、1935年4月15日
ENRIQUE FINOT
ブラジル大使、1935年4月15日
OSWALDO ARANHA
チリ大使、1935年4月15日
M. TRUCCO
コロンビア大使、1935年4月15日
M. LOPEZ PUMAREJO
コスタリカ大使、1935年4月15日
MAN. GONZALEZ
キューバ大使、1935年4月15日
GUILLERMO PATTERSON
ドミニカ共和国大使、1935年4月15日
RAF. BRACHE
エクアドル大使、1935年4月15日
C. E. ALFARO
アメリカ合衆国大使、1935年4月15日
HENRY A. WALLACE
エルサルバドル大使、1935年4月15日
HECTOR DAVID CASTRO
グアテマラ大使、1935年4月15日
ADRIAN RECINOS
ハイチ大使、1935年4月15日
A. BLANCHET
ホンジュラス大使、1935年4月15日
M. PAZ BARAONA
メキシコ大使、1935年4月15日
F. CASTILLO NAJERA
ニカラグア大使、1935年4月15日
HENRI DE BAYLE
パナマ大使、1935年4月15日
R. J. ALFARO
パラグアイ大使、1935年4月15日
ENRIQUE BORDENAVE
ペルー大使、1935年4月15日
M. DE FREYRE Y S.
ウルグアイ大使、1935年4月15日
J. RICHLING
ベネズエラ大使、1935年4月15日
PEDRO M. ARCAYA
ロシア語からの翻訳者:
オレクサンドル・チスチャコフ
翻訳補助:
加藤 はる花